科学言説研究プロジェクト第6回公開研究会


 


サイボーグと現代日本

「サイボーグ表象と自己の変容」 浅見克彦(和光大学)

「サイボーグ化は何をもたらすのか」 高橋透(早稲田大学)

日時:2009年6月21日(日曜) 午後3時〜6時

場所:工学院大学新宿キャンパス B−0430教室

(昨年までとまた会場が違います。1階または地階から赤扉のエレベーターで中層棟の
4階までおこし下さい。 他のエレベーターでは来れませんので、ご注意下さい)
   http://www.kogakuin.ac.jp/map/shinjuku/index.html

参加費:無料 どなたでも参加できます。散会後、懇親会も予定しております。
   

〔発表要旨〕

浅見克彦「サイボーグ表象と自己の変容」


サイボーグ表象には、テクノロジカルなネットワークに浸されて生きる、私たちの現実が投影されている。ただしそれは、映画やアニメが、変容しつつある自己の客観的真実を正確に描写しているということではない。むしろそこには、客観的真実に反する事柄と、論理的に矛盾した事態が数多く含まれている。『攻殻機動隊』の「ゴースト」にも、『スカイクロラ』の「キルドレ」にも、理詰めでは割り切れないある種の「飛躍」が潜んでいるのである。重要なのは、こうした物語上の「亀裂」を分析することを通じて、その背景に啓蒙以来のヒューマニティの理念が衰微しつつある現実と、そうした現実の前で不安と恐れを抱く自己の意識が透かし見えることではないだろうか。サイボーグ表象は、現代文化を生きる自己の姿を映し出す鏡になっていると言ってよい。この鏡像を通じて自己のありようを自覚した人間は、自由や自律といった理念を軸とした自己理解を変容させてゆくに違いない。人間のサイボーグ化にともなう自己の変容は、決して人間の客観的なありようの変化のみに尽きるわけではなく、こうした自己像の変容を介した人間の存在様式のシフトとしてとらえられるべきな

※報告者は、和光大学表現学部教授。著書に『消費・戯れ・権力』(社会評論社)、『SF映画とヒューマニティ』(青弓社)などがある。



高橋透「サイボーグ化は何をもたらすのか」

1980年代に、アメリカの哲学者ダナ・ハラウェイは、人間/機械/動物のあいだの境界の曖昧化を「サイボーグ」と名づけた。21世紀になってから、ブレイン・マシン=インターフェイス、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーといった先端技術は、こうした曖昧化の具現化の推進力となっている。現在すでに私たちは、情報通信技術や、ユビキタスといったテクノロジーによって支援されているが、今後、私たちの生は、ますますテクノロジーなしには成り立たなくなっていくであろう。 拙著『サイボーグ・フィロソフィー』で論じたように、上述の先端テクノロジー群は、人間のサイボーグ化を通じて、個体という、人間の生物学的前提、そして死すべき人間というパラダイムに対して今後揺さぶりをかけていくであろう。そのとき、人間という概念、ならびにその実質的なあり方は、多大な変更を被らざるをなくなると考えられる。サイボーグ化を通じて私たちは何をしようとしているのであろうか。サイボーグ化は何をもたらすのであろうか。

※報告者は、早稲田大学文化構想学部教授。著書に『サイボーグ・エシックス』(水声社)、『サイボーグ・フィロソフィー』(NTT出版)、訳書に『サイボーグ・ダイアローグズ』(水声社)などがある。


〔企画コーディネート〕
一柳廣孝(横浜国立大学教授)著書に『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉』(講談社選書メチエ)、『催眠術の日本近代』(青弓社)、編著に『「学校の怪談」はささやく』『心霊写真は語る』『オカルトの帝国―1970年代の日本を読む』(青弓社)などがある。

吉田司雄(工学院大学教授)日本近代文学・文化研究・映像論編著に『探偵小説と日本近代』(青弓社)、共著に『妊娠するロボット―1920年代の科学と幻想』(春風社)、『機械=身体のポリティーク』(青弓社)、論文に「代替歴史小説の日本的文脈」(「思想」984)などがある。

林 真理(工学院大学教授)科学史・科学論著書に『操作される生命 科学的言説の政治学』(NTT出版)、共著に『生命科学の近現代史』(勁草書房)、『技術者の倫理』(コロナ社)、論文に「駆けめぐる細胞 生命とモノのはざまで」(「現代思想」2008年7月)などがある。



〔後援〕
工学院大学エクステンションセンター

「工学院大学・朝日カレッジ」では「ロボット」に関するものなど、多彩な講座が開講されています。
「ロボットから探る人」(6月6日)、「手術を支えるロボット」(7月4日)


〔お問い合わせ先〕林 真理・吉田司雄

 

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