思い出

 

ねこブローチ

 

うちのネコをモチーフに作ってもらった
松澤さん手作りのブローチ


部屋からの眺め

突然すぎた別れ


どうして、どうして・・・・。
なんでこんなことになってしまったのか・・・・。

それは、本人が一番知りたいと思っているに違いない。



留守電に松澤さんのお兄さんからメッセージが入っていた。
普段なら松澤さん本人の声が入っているはずなのに、変な感じだった。
すぐに電話をかけて見ると、いつもの松澤さんの「やーっ、元気?」の声ではなく女性の声で、
「清子は亡くなりました。出先で倒れて救急車で運ばれる時には、もう心臓が止まっていたそうなんですよ」
私は「えっ」といって絶句した。

警察では心不全ということになっていたそうだが、本当の原因はわからないらしい。
突然ということでご家族の方々もなにがなんだかわからない状態のうちに葬儀の準備に取り掛からなければならなかったので、さぞかし辛いお気持ちだったことと思う。


お通夜の日、松澤さんは眠ったような顔をして横たえられていた。
覗き込もうとすると、
「わーっ、ダメダメ。恥ずかしいからダメよ〜」
と手を振ってさえぎったことだろう。
なのに彼女がこの場にいないことがいちばん不思議な気がした。


まだ魂がそのあたりにいたとしたら、そうとう焦っていたことだろう。

「わーっ、お父さんのご飯どうしよう〜」

「5月の個展の準備はこれからなのに〜」

「パソコンも教えてもらわなくちゃ〜」

などなど松澤さんの声が聞こえるような気がする。

まだ様々なことが残っていたはずである。
おそらく本人もいつか人生が終わると思っていても、そこで人生が終わってしまうなどとは考えてもみなかったことだろう。
その日も普段どおり出かけて、用事をすませてお父さんの夕食なんにしようかなあなんて思っていたのだろう。


そういえば、去年の夏、お土産を持って行った時にちょこっと玄関先で会って、なぜか赤飯を分けてくれたのが最期になってしまった。今年になって「個展の準備で忙しくなる前に会いたいね〜、2月の終わり頃とかどうかな?」とメールをもらっていたのに、とうとう会えなくなってしまった。


「松澤さん、どうしたの〜?」

「どうしたのか私にもわからないのよ〜」

もし今、松澤さんと話すことができたら、たぶん、こんないつもの調子の会話をするだろう。つくづく残念である。
松澤さんがいなくなって、これからの人生、つまらなくなってしまった。


思い出

明るくて楽しい人だった。
日本酒が好きだった。
コーヒーが好きだった。
旅が好きだった。
犬が好きだった。
ジャズ、舟木一夫が好きだった。
そしてなによりも書を愛していた。


松澤さんの字を見て感じることは、力強い書の中に見え隠れする繊細さというか、こう細やかなやさしさがあると思っていた。

彼女が頑固にこだわっていたのは『自分らしさ』の追求だったのだろう。


桜の花が咲きましたよ


松澤さんがいなくなって一ヶ月が経ってしまった。
まだ信じられない。
彼女と最期のお別れをした時は強い北風が吹いていて寒かった。
今年は冬らしい冬で、遅れて咲いた梅の花が満開の頃だった。

お通夜の直後にアドレス帳の松澤さんの名前を見ると悲しすぎたのでパソコンから消してしまったけれど、またメールが来ないかなと考えている自分に気がつくことがある。松澤さんの仕事の一端しか手伝うことができなかったと無力感に襲われることもある。

でも、きっとこういう時、松澤さんは多少大げさに驚いたと思う。

「エーッ、あたしのせい? そんなことないよね」

そして笑顔で、

「こらこら、そんなふうに思っちゃダメだよ」

って言ってくれただろう。
そういう時の仕草や声が思い出され、また悲しくなる。


3月22日、東京の桜の開花宣言が発表された。
今年は個展の準備があったので予定外だったが、そのうちお花見行こうよとこちらから誘うつもりでいたのに。
いつかこの時期、松澤さんとお花見に行きたかったなぁ。


2008年3月26日


 
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