吉田司雄のApe来たりなば
2005年の日記



3月16日(水)

 国境を超えて、マレーシアのジョホール・バルへ行く。目的地はジョホール動物園。戦後上野動物園の園長となる古賀忠道は1942年3月の終わりにここを訪れたが、驚いたことに動物がほとんどいなかったという。「占領の年の二月のあの恐ろしい混乱期に、殺されたり餓死してしまったらしい。鹿が数頭草を食んでいたが、檻は空っぽで、扉があけ放しになっていた。どろっとした池のなかに死んだおっとせいが横たわり、腐臭を放っていた。動物、とくにオランウータンを日本に送りたいという希望を持っていた古賀博士は、強い衝撃を受けた様子だった。係の人の話によると、オランウータンは空腹のあまり獰猛になり、世話係を襲うようになったので、ついに餌を与えることを断念してしまったという。古賀博士はオランウータンがうめられたところを掘りおこし、骨を収集した。」(E・J・H・コーナー『思い出の昭南博物館』中公新書)

 ジョホール・バルへはブギス駅近くのクイーン・ストリート・ターミナルからJBエクスプレス(星柔快車)というクーラー付の直通快速バスが出ている。片道2.4シンガポールドル(ジョホール・バルからの帰りも2.4マレーシア・リンゲットだが、同じ2.4でも実質的な値段はずいぶんと異なる)。30分ちょっと乗った後いったん降りて、目の前のビル内で出国審査。再びバスに乗ってコーズウェイを渡れば、もうマレーシア国内となる。バスから降りて入国審査を済ませ、ジョホール・バルの町内へ。ここにも多くの高層建築があるが、シンガポールに比べ貧富の差は大きく、取り壊されたような町並みも残る。その分、アジア的な喧騒さも満ち溢れているけれども。

 ジョホール水道沿いに歩いて、まずサルタン王宮へ。青い屋根に白壁の美しい宮殿内部の博物館を見学。日本との関係の深さを窺わせるものも多い。さらに西へと歩き、アブ・バカール・モスクのここも美しい建物を見た後、向かいのジョホール動物園へ。シンガポール動物園と比べればずっと小さく、檻も旧式で、懐かしい田舎の動物園といった趣きだ。暑さにばてたのか、寝ている動物も多い。館内中央の室内展示だけは別料金1マレーシア・ギンゲットだが、蛇を巻きつけた少年がいたり、水苔のこびりついた水槽が並んでいたりと、見世物小屋のような雰囲気。レストランにあたる建物もなく、売店でスイカの切れ端を買って食べる。しかし、こういう場所を見ていると、西洋から来た動物園という文化はアジアでどんな意味を持っていったのかを深く考えてもしまうのだ。

 シンガポールに戻ってきた後は、ブギス周辺を散策。実はこのあたりが戦前の日本人地区にあたるので、シンガポール日本人会編『南十字星・シンガポール日本社会の歩み』からコピーをとってきた地図を片手に、かつて旅館や日本人商店があった場所が今どうなっているのか、デジカメに収めて回る。詩人の神保光太郎が校長を務めた日本人小学校は、現在スタンフォード・アート・センター。向かい側がヒンズー教のスリ・クリシュナ・テンプル、さらに少し先が観音堂。今も地元の人の信仰篤く、門の前で手を合わせている人が何人もいたのが印象的だった。

 しかし、チャイナタウンの歴史的な建物や通りには、中国語・英語・日本語(!)の三ヶ国語による説明プレートがついているのだが、旧日本人地区にはどこにもそんな説明プレートがない。歴史的に難しい面が多々あることは想像がつくが、このままだとただ忘れ去られていくだけであろうし、少し複雑な思いに駆られる。現在のブギス周辺は、オーチャード・ロードやチャイナタウンに比べ、日本人の姿をほとんどみかけない。だが、ブギス駅前にあるのはパルコと西友だ。ニュー・ブギス・ストリートはまるで浅草の仲見世のようだし、フードセンターの食べ歩きやパルコ内のアーケードに並ぶブース巡りも楽しい。パリの朝市や台湾の夜店ならよく見かける日本人旅行者が、やがてブギスにも来るかも知れない。

 ともあれ、明日早朝にはこの街を離れ、9時40分チャンギ国際空港発のシンガポール航空機で日本に戻ることになる。

 

3月15日(火)

 シンガポールにいられるのも、あと二日。あまり見るところのない退屈な街だと言う人もいるが、なかなかどうして、行きたい場所がまだ幾つも残っている。チャイナタウンから今度はブギス地区に移動し、ビーチ・ロード沿いのホテルにチェックインした後、島の西方ジュロンのバード・パークへ。MRTに乗ってジュロンで下車し、そこからバスで10分ほど。800種、8000羽以上の鳥類が飼育されている世界有数の鳥類園で、シンガポール動物園・ナイトサファリとのセット入場券30ドル。バード・パークだけでも14ドルだから、ずいぶん割安な気がする。

 まずバノレイルというモノレールで園内を一周。途中世界最大の人口滝があるウォーターフォール・エイビアリーで下車するが、この滝を中心とする2ヘクタールもの一角がそのまま網で囲まれた巨大な鳥舎となっていて、熱帯の鳥たちがすぐ近くまでやってくる。色鮮やかなインコが放し飼いにされたロリー・ロフトや夜行性の鳥を集めたワールド・オブ・ダークネスなど見所が多いが、なんといっても話題は鳥たちのショーだろうか。マドリッド動物園のバード・ショーも見たことがあるが、観客のすぐ頭上を鳥たちが低滑空するさまは、いつ見てもはらはらするものがある。午後3時からのJBPオールスター・バード・ショー、4時からのフジ・ワールド・オブ・ホークス・ショーという猛禽類のショーを見終われば、もう夕刻近い。

 MRTに乗って今度はハーバーフロント駅へ。駅前からオレンジ色の専用バスに乗ってセントーサ島に渡る。バスを降りた入場口で入島料2ドルと往復バス代1ドルのセットのチケットを購入するかたちだ。かつてブラカン・マティ(死の島)と呼ばれ、日本軍によって多くの華僑が虐殺されたセントーサ島も、現在は総合レジャーランドとしての開発が進んでいる。バタフライ・パーク/世界昆虫館やピンクドルフィンのいるドルフィン・ラグーンは時間的にもう見れない。マーライオン・タワーに登り、アンダーウォーター・ワールドに入る。後者は小さな水族館で、動く歩道に乗ってまわる海中トンネル風の大水槽が有名だが、東京の大水族館に親しんだ人間には水深も浅く、観光客向きで正直物足りない。しかしその後、ファウンテン・ガーデンズ(噴水広場)の端、マーライオン・タワーの下で行われるミュージカル・ファウンテンを見る。噴水とアニメ映像が結合した見事なショーで、これだけで完全に入島料分の価値はあると言えるだろう。

 

3月14日(月)

 ラッフルズ・ホテルに行く。といっても宿泊客としてではなく、あくまで見学。しかし、ホテルアーケードやコートニードは自由に歩きまわれる。2階にはラッフルズ・ホテル・ミュージアムという一室があり、1887年に開業して以来の様々な資料が展示されている。このホテルに投宿したサマセット・モームやキプリングの著作などもある。しかし、日本占領期に昭南旅館と改称されていた時代の資料は展示されていない。ホテルの歴史から言えば、昭南旅館はラッフルズ・ホテルの建物を使ったが、ラッフルズ・ホテルではなかったということになるのだろうか。もっとも昭南旅館時代にそれ以前の古い資料の多くが棄てられてしまったともいうが。

 シンガポール航空にリコンフォームをするべく再三電話するが一向に繋がらず、しかたなくオーチャード・ロードの高級ショッピングビルであるパラゴン内のオフィスに直接出向く。その後、同ビル地下階の手打ちそば屋「新ばし」で日本そばを食べる。ガラス越しにそば打ちの実演が見られるようになっている。いったんホテルに戻り、買い込んだ本を抱えて、チャイナタウン駅前チャイナタウン・ポイント内の郵便局に行く。郵便局は午後6時まで。かろうじて5時55分に到着。船便の小包で本を日本に送るのを、局員の男性が手際よく手伝ってくれる。3週間から6週間くらいのうちには日本に届くとのことだった。

 

3月13日(日)

 研究目的の出張とはいえ、土日くらいは自由にしていいんじゃないかと、競馬場に行くことにする。MRTに乗って30分ほど、クランジの駅で降りると、ホームのすぐ目の前がシンガポール・ターフクラブ。3万人収容の最新型スタンドをもつシンガポール自慢の競馬場である。入場料3シンガポールドル。しかし、7ドル払ってエアコン付の2階席に入れるチケットを購入。さすがといっていいのか、スタンドまで向かう途中にはゴミ一つ落ちておらず、さすがゴミのポイ捨てに最高1000ドルの罰金をかす国だと感心する(もっとも最終レースが終わった後のスタンドの床や駅への通路は、日本に負けず劣らずハズレ馬券やゴミが散らばっていたから、シンガポール人にとって競馬場は唯一人目をはばからずゴミを撒き散らせる空間なのかも知れないが…)。

 日曜のシンガポール競馬の第1競走は午後1時30分発走。最終11レースは6時30分。ただし、この日は第7レース(2時40分)に香港ダービーが組まれていた。もちろん映像中継だが、プログラム上は他と同じくレース番号がカウントされ、発走直前まで馬券も発売されていた。日本の他場発売とはどこか雰囲気が違い、最初は気づかなかった。

 さて、シンガポール競馬といえばカルテット(4連単、1〜4着の馬を着順通りに当てる)。6種類ある馬券のうち、カルテットとダブルトリオ以外は日本でも買えるが、ティアース(3連単)さえめったに当たらないのだから、4連単となるともう全然当たる気がしない。日曜日のせいか両替商が休みで、手持ちの日本円を両替できなかったのも痛い。健全な予想は、潤沢な資金に宿る(笑)。それでも4連単狙いに行き、資金不足から馬券を絞ってははずす。まあ、惜しいというほどのもなかったのだが、無理狙いで勝てるほど競馬は甘くない。終わってみれば、財布にはわずかに5ドル札1枚だけ。日本ならオケラ街道をトボトボというところだが、なけなしのお金でMRTに乗って帰る。


 競馬場に行く前にホテルをチェックアウトし、タクシーでチャイナタウンに移動、ミニホテルにチェックインした。タクシーの運転手は最初ホテル名を言っても通りの名前を言っても分からず、オーチャードあたりに泊まっていた日本人が何を好き好んでそんなところに移動するのかと怪訝そうな顔をされる。シングル1泊78ドル。建物の一隅に無理やり作ったような細長い部屋で、入るとすぐ机兼用の鏡台、その奥にシングルベッド、さらに奥に洗面台とシャワー。ベッド横のスペースはなんとか人一人通れるくらいの狭さで、快適さも清潔感もぐっと落ちる感は否めない。

 実は主張旅費規程のホテル代から言えば、もっといいホテルに泊まれるのだが、これも一つの実地体験。別にホテル代を浮かせたい訳ではない。クーラーはついているし、今読んでいる佐々木譲『昭南島に蘭ありや』(中公文庫)の台湾青年が日英開戦と同時に身を隠すチャイナタウンの店屋(ショップ・ハウス)の三階もっとも奥の小部屋に比べれば、はるかにましなところでもあるだろう。

 車通りのやや激しい銀座通りといった感じのオーチャード・ロードに比べ、チャイナタウンはずっと庶民的で、フードセンター(ホーカーズ)の集合屋台村を始め、安い飲食店も多い。しかし、せっかく安い店が近くに何軒もあっても、そういうところではクレジットカードが使えず、現金がなければ食事さえままならない。結局、夕食はやや高級な老舗の潮州料理店へ。プラウンロールとガチョウの潮州煮、そしてタイガービールを注文。タイガービールは日本で呑んでいる分には特においしいとも感じなかったのだが、こちらでそれもすごく冷やしたものを呑むと、喉ごしの爽快感が抜群でたまらなくうまい。

 

3月12日(土)

 シンガポール動物園へ。今回の旅の目的地の第一である。MRT南北線でアン・モ・キオ駅まで出て、そこから138番のバスに乗る。シンガポールの地下鉄はチケットを購入する時に1シンガポールドルのデポジットを取られ、下車後に自動販売機で払い戻す形。バスには現金でも乗れるが、お釣は返ってこない。1ドル40セントのところを50セント玉しかなく、10セント余分に払う。駅からはバスでも思いのほか離れていて、しばらく行くとセレター貯水池が見えてくる。この池沿いに動物園はあるのだが、入り口までさらに10分近くかかった。

 1973年開園のシンガポール動物園は、檻や柵を使わないオープンシステムの展示で知られ、日本人観光客にも人気のスポットだと言うが、土曜日でもそれほど日本人が多い訳ではなかった。到着早々、インドゾウのショーを見ようとエレファント・オブ・アジアという会場へ向かう。世界最大のオランウータン・コロニー、コビトカバ、熱帯雨林の生態系を再現したフラジャイル・フォレスト、エチオピア村、そして最近来たという白いトラあたりがここの見所だろうが、何より熱帯林をそのまま生かした園内は北半球の動物園では見ることのできないものだし、インドゾウに乗れたりオランウータンらと記念写真を撮れたりと、サービス精神も旺盛だ。しかし、蒸し暑い中園内を回るのは結構疲れる。ところどころの屋根付スペースではクーラーや扇風機が動いていて、ほっとする。

 午後5時半頃、園内を出るといきなりのスコール。1時間ほど待って雨が上がったあと、今度は隣のナイトサファリへ。動物園の閉園が午後6時、ナイトサファリの開園が午後7時30分。どうしてこんなに間があるんだろうと思っていたが、開園1時間前からすでに列が出来ている。さすがにこちらでは、あちこちから日本語が耳に飛び込んでくる。ゲートが開く時間も開園時間より多少早い。7時30分ぴったり出発の日本語ガイド付トラムに乗って園内を一周。トラムは3両ずつの全6両編成。『地球の歩き方』には先頭車両に乗らないとガイドの説明とずれが出るとあったので心配したが、後ろ3両の「2号車」にも配慮した説明でよかった。そのあと、今度はトレイルという徒歩のルートで園内を一周。10時からのナイトショーの最終回を見る。8時、9時の回は満席で、10時の回も早々に列ができていたが、20分くらい前から会場に入れてくれる。外に出ると11時近い。タクシーでホテルに帰る。タクシー乗り場にはオーチャードまで15シンガポールドル前後だと日本語で掲示があったが、15分10ドルで戻ってくることができた。

 

3月11日(金)

 昨晩(正確には今日だが)午前1時30分少し前にシンガポールのチャンギ空港に到着。もうすっかり夏の陽気で、到着時27度、今日日中は30度を越えていた。まだ雨季だが、今年は例年より雨も少ないらしい。ただ空はどんよりしている。

 土地勘を少しでも養おうと、ともかく街中を歩く。オーチャード・ロードを抜け、ドービー・ゴートの先から右折。まずアルメニアン・ストリートのアジア文明博物館でペラナカン(中国移民とマレー人との婚姻によって生まれた融合文化)に関する展示と現代中国の社会批評的写真の特別展。それから近くのシンガポール切手博物館へ。日本占領下のコーナーではスライド方式で当時の切手や紙幣と並べて、日本軍人の華僑に対する残忍行為の写真が挿入される。日本占領期をまとめたものをパソコンをいじって見ることもできる。シンガポール最古の教会であるアルメニアン教会を覗き、フォート・カニング・パークを通り抜け、シンガポール川岸へ。今度はエンプレス・プレイスのアジア文明博物館を見る。コロニアル様式の学校を利用したアルメニアン・ストリートの方が古く、こちらが新館にあたるが、展示スペースはずっと広い。東南アジア、西アジア、中国、南アジアと地区毎に豊富な展示品が並ぶ。シンガポール観光のパンフレットに必ずと言っていいほど載っているマーライオンも、ラッフルズ上陸記念の地に立つ白い立像もすぐ近く。このあたり、国会議事堂やビクトリア・コンサートホール&シアターなど、コロニアル風の白い建物が並ぶが、少し目線を上げれば、林立する高層ビルディングが否応なしに目に飛び込んでくる。

 出発前ににわか勉強をして作り上げてきたイメージと異なっている訳ではない。だが、見るほどにそのイメージが、とりとめもなく拡散していくような気もする。まあ、焦ることもあるまい。まだ、一日目なのだから。

 帰り道、書店によって本を購入。『日本人が見たシンガポール 明治・大正・昭和(戦前)』がさしあたり今日の収穫。英語・日本語・中国語のキャプション付で絵葉書や地図など約1000点を収録している。オーチャード・ロードのシンガポール高島屋3階にある紀伊国屋書店にも寄った。英語・中国語・日本語と三ヶ国語の書籍がフロア一杯に並んでいる。マンガの棚など日本の書店と比べても遜色ない。「日本ではもう手に入らないあの本を“限定復刻”紀伊国屋書店アジア各店のみの販売です。」との帯がついた『メナムの残照』の文庫本や鈴木光司『リング』の中国語訳などを購入。早めにホテルに帰ってパラパラと眺める。実はホテルの隣室が若い日本人女性のグループ客で、さっきからはしゃぐ声がうるさい。疲れに任せてうまく寝られるといいのだが…。

3月8日(火)

 双文社出版の石井克次さんとお会いし、出来たての本をいただく。一柳廣孝さん、久米依子さん、内藤千珠子さんと一昨年の6月からかかわってきた『文化のなかのテクスト−カルチュラル・スタディーズへの招待』がようやく本のかたちとなったのだ。大学短大の教科書として使われることを前提とした現代日本文学の抄録解説付アンソロジーだが、本自体としてもなかなか読みごたえのあるものになったと自負している。詳しくは下の目次をクリックしてほしい。

 さて、今週木曜10日からは海外出張でしばらくシンガポール。帰国は17日の予定。せめて海外にいる時くらい日記をアップしたいと思うのだが、果たしてどうなるか。ここ数日でにわかに花粉症の症状が悪化してきたので、日本を脱出できるのが何より嬉し

『文化のなかのテクスト−カルチュラル・スタディーズへの招待』目次

2月11日(金)

 科学言説研究プロジェクト第1回公開研究会。文学研究と科学史研究を架橋し、ジャンルを超えた新たな議論の場を作りたいと威勢良く声を上げてはみたものの、果たして何人の人が来てくれるものか。10人くれば御の字かなあ、というのが同僚の林真理さんとこちらとの読み。しかし、開始30分前の2時半くらいからすでに人が集まり始める。会議室がみな入試関連でふさがっていて、小さな共同セミナー室しか用意できなかったのだが、完全に椅子が足りなくなり、あちこちから調達。ピーク時で参加者は40名を突破し、予期せぬ盛会となった。部屋が狭くて、来てくださった方には窮屈な思いをさせてしまったけれど、満室ゆえの熱気が立ち込め、次々と発言を求める手があがって、議論百出。主催者的にはとてもよかったと思っている。

 科学史学会生物学史分科会現会長の松永俊男さんにお話をお願いし、生物史分科会例会との共催という形をとらせていただいたこともあって、『日本の優生学』の鈴木善次さん、『生物学の旗手たち』の長野敬さん、『ダーウィン自伝』共訳者の江上生子さん、『通史 日本の心理学』『生物学の歴史』共著者の溝口元さんら、門外漢の自分でもそのお仕事に親しんできた先生方が来て下さったのには、有難さを超えて恐縮してしまった。一方、奈良崎英穂さんの発表ということもあって、文学系の若い研究者や院生の姿もあり、それ以外にも、社会学の佐藤健二さんや民俗学の野村典彦さんを始め、一体どこで聞きつけてきたのだろう?と思ってしまうほどに、いろんな領域の人がいらっしゃっていたのには、正直驚いた。

 またやります! ので、その折にはぜひ。以上、ご報告。で、ついでに新たな宣伝。が、こちらの方は完全に準備不足なので正直個人的には誰にも来てほしくない…(あくまでも個人的には、です)。

第6回口承研究会例会

1月29日(土)

 新年最初の日記だが、すでに2月がすぐそこまで来ている。今日は宣伝。
以下の研究会を現在準備中です。興味のある方はのぞいてみて下さい。

科学言説研究プロジェクト第1回公開研究会 日本科学史学会生物学史分科会2月例会



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