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2003年  2月
2月27日(木)
 二日がかりで工学院大の4月からの授業のシラバスをなんとか作った。他の大学と違って依頼が遅く、毎年この時期、入試期間のあいだを縫うようにして授業計画を練る。昨年からは大学HPの画面に直接入力できるようになった。例年とほぼ同じなら「参照」をクリックして昨年のをまず入力し、後はちょこっと直せばいいだけなのだが、当然留守中は他の先生に担当をお願いしていた科目なので、そういう訳にもいかない。おまけに海外ローミングアクセスポイント経由でネット接続しているため、直接入力は技術的にも困難。一部の科目はこの在外研究を期に内容を変更しようと思っていたこともあり、一から書き直すこととなった。

 近々工学院大HPでも読めるようになるものだし、一足早く「芸術学入門」(新宿校舎・月曜前期1、2限)の授業計画を宣伝に(!)掲げておこう。と言っても、例年学生が集まりすぎて初回など立ち見が出る授業だから、今年からは内容も大幅に変わるし、本当にやる気がある人間だけが登録するように、という宣伝である。講義題目は「パリをめぐる芸術史」。なお、2部の「比較文化論A」(新宿校舎、水曜前期夜2限)も各回のラインナップは同じだが、内容は比較文化的な話題にシフトして講義する予定である。


第1回 ガイダンスー教会建築の様式史
第2回 ルーヴル美術館誕生前史ーフランスにおけるイタリアニスム
第3回 バロックとロココー17,18世紀の宮廷文化
第4回 ロマン主義の胎動ーフランス革命とナポレオンの時代
第5回 第2帝政期、パリの大改造ー『オペラ座の怪人』と『レ・ミゼラブル』の背景
第6回 印象派絵画の登場ースキャンダルとジャポニスム
第7回 写真と映画の誕生ー複製芸術の時代へ
第8回 モンマルトル、世紀末のパリームーラン・ルージュとその周辺
第9回 モンパルナス、ベル・エポックのパリーカフェ文化とエコール・ド・パリ
第10回 パリのアメリカ人ーヘミングウェイを中心に
第11回 パリの日本人ー横光利一を中心に
第12回 パリの映画誌(1)ールネ・クレールと三人のジャン
第13回 パリの映画誌(2)ーヌーヴェル・ヴァーグ登場まで


 この「芸術学入門」、実は一昨年までは「第7芸術」(総合芸術)と言われる「映画」の歴史を中心に講義してきたのだが、折角こちらで美術館や教会建築などを豊富に見る機会を与えてもらったのだし、文学・映画と美術・建築との交流史を軸に「芸術学」というイメージにもより合うよう、思い切って内容を一新してみたのだ。とはいえ、本当にこれだけの講義ができる準備ができているかというと、はなはだ心許ない。授業で使える写真や絵葉書なども集めて帰りたいのだが、果たしてどこまでできるだろうか。


 夕刻からシャイヨー宮のシネマテークへ。19時からパゾリーニ監督のドキュメンタリーを2本。『Sopraluoghi in Palestina per “Il vangelo secondo Matteo”』(1964)は『奇跡の丘』ロケハンのためのパレスチナへの旅の記録。『Le Mura di Sana'a』(1973)はユネスコのアピールのために作ったもので、レバノンが舞台。少し集中力が途切れて別のことを考えていると、画面は流れるようにどんどん先へと行ってしまう。まるで車窓から眺める風景のように。後者は13分の短編、あっという間のエンドマークだった。

 21時から『殺して祈れ』(リー・V・ビーヴァー、1966)。監督名はカルロ・リッツァーニの変名で、シネマテークの案内冊子にはそちらが記されている。イタリア・西ドイツ製作の西部劇。パゾリーニがメキシコ革命を密かに準備するグループのリーダーとして出ている。しかし、敵役のマーク・ダモンの存在感に完全に食われているなあ。映画自体は冒頭の大殺戮場面からして、ようやってくれるわ、と思わず呟きたくなる雰囲気。大衆の加虐趣味をくすぐりたいのが見え見えではあるけれども、帰国後マカロニ・ウェスタンを集中的に観直したいという欲望はさらに高まる。

 間が1時間弱あったので、少しお腹に入れようと屋台のクレープを買いに出るが、いきなり大粒の雨が降り出してきた。今日は降ったり止んだりの一日。しかし、ここ数日のパリは天気もよく、すっかり春めいてきた感じだった。こうして一雨毎に春へ春へと近づいてゆくのだろうか。

2月26日(水)

 通風の持病があることを書いたら、日本ではプリン体を半分にしたビールが発売されたとメールで知らされた。かつては贅沢病と言われた痛風も、今となっては不摂生の証明にしかならない。自らの不健康さをアピールするようなビールを誰が飲むんだろうか。それとも突如足もとを襲う痛みの怖さに脅えながら、それでもビールを止められない人間が、夜中に冷蔵庫を開けてそっと飲むためのものなのだろうか。こちらにはプリン体の豊富な贓物料理が本当に多い。フランス語ができないがために、肉料理から適当に選んで注文し、出てきたのを見て愕然とするようなこともあった。そんな危うい生活ももう後少ししかない。

 シャイヨー宮のシネマテークで19時からの『Ostia』(1970)を観る。ワイドスクリーンで英語字幕付、下にフランスの電光字幕。製作・脚本がパゾリーニ。さして期待はしてなかったのだけど、なかなかよかった。天才風の気取りとは無縁の微笑ましいまでの凡庸さが、映画の描く世界に似つかわしく思えたから。母親を亡くしたばかりの同性愛者の兄弟は、原っぱに横たわっていた金髪の女性を家に連れ帰る。盗んできたカツラをかぶらされメイクを施された後、彼女の弾くアコーディオンに合わせて踊る兄弟のダンスシーンがとてもいい。その後に続く両者の回想(父娘相姦と父殺しと)。Ostiaの海での三人。刑務所を見舞った三人の男性が、兄弟と面会中の女性とが見下ろす建物の外で踊るところも楽しい。出所した兄弟が向かうのは、彼女が待つ同じ海辺だ。その晩の浜の焚き火のそばでの、そして最後の夜明けの海に向けてのシーンも忘れがたいのだが、ネタばれになってしまうから、ここには書けない。軽やかさと重苦しさと。そのどちらもが不思議なくらいに対立も矛盾もせず、この映画では息づいていた。

2月25日(火)

 旅行会社に予約してあった日本行きの航空券の代金を払いに行く。実は昨日も行ったのだが、営業所の場所が変わったのを知らなくて、今日改めて電話を掛けてから訪ねた次第。クロネコヤマトも移転中だったし、パリではこの時期日本関連の事業所移転が結構多いのかも知れない。購入した航空券は3月23日(日)シャルル・ド・ゴール空港10時40分発のオーストリア航空。ウィーン乗換で成田到着は翌24日(月)9時25分。こうして日にちを写していても、ヨーロッパ滞在ももうほんのわずかだという気分になる。

 軽く食事をすませた後、アクション・エコルのフリッツ・ラング特集へ。『口紅殺人事件』(1956)。かつて蓮実重彦監修の雑誌「リュミエール」の50年代ハリウッド映画特集に合わせてアテネ・フランセ文化センターで行われた超満員の特集上映会で、ラングの回はこの映画と昨日観た『条理ある疑いの彼方に』との組み合わせだった。アテネ・フランセでラングと言えば、いつもこの2本立てだったような気さえする。ヒッチコックとシャブロルとを組み合わせた特集もあったが、蓮実重彦はヒッチコックはむしろラングと比べたいと言っていたという。アクション・エコルでは今度はそのヒッチコックの特集が明日から始まる。映画の後はエスパス・ジャポンで本の返却と貸出をしてきた。

2月24日(月)

 そろそろ日本への引越しの準備もしなければならない。地下鉄ピラミッド駅近くのクロネコヤマトと日通のペリカン便とに寄って、料金表をもらってくる。料金体系が違うため、実際に重量を量ってみないことには、どちらが安いとも言えない。両社ともワイン宅配便というのも扱っている。クロネコの場合で、3本100ユーロ、6本120ユーロ、12本165ユーロ。こんなことを書くと、お土産のワインを楽しみにしてます、などと言うメールがすぐ届きそうだが。しかし、こちらが買える程度のワインなら、宅配便料金まで考えたら日本で買う方がずっと安くなってしまうことだろう。

 昼食は時間があまりないので、オペラ座近くのカップ23で天ぷらそば。入るとすぐ横の棚に飲料水やカップ麺やお弁当などが並んでいて、日本のコンビニとなんら変わらない。レジで食券を買い、奥の厨房口で受け取る仕組み。味は日本の立ち食いそばとまったく同じ。ただし、天ぷらそばで6・5ユーロ、おぎにりとサラダとお新香付のセットで9ユーロと、日本の3倍くらいする。立ち食いそば屋と違うのは、トレーに入れて地下の階の食堂に自分で運べば、座って食べられること。うめのおにぎりに梅干しが入ってなかったのには、ちょっぴり残念に感じた。

 さて、今日のアクション・エコルのフリッツ・ラング特集は『条理ある疑いの彼方に』(1956)。ハリウッド時代最後の作品。いったんはあっけなく終わってしまうのかと思わせておきながら、その後にくるひねりには何度観てもすごいと思ってしまう。その後、エコル通りをサン・ミッシェル大通りの方へ向かって歩き、中世美術館の裏手にある映画館レ・シャンポへ。ヘンリー・ハサウェイ監督の『Peter Ibbetson』(1935)がリプリント版でかかっているのだ。戦前の日本での公開題は『永遠に愛せよ』。ネットで調べてみたのだが、1930年代のヘンリー・ハサウェイ作品の日本公開題は、『燃ゆる山道』『白馬王国』『猫目石怪事件』『女装陸戦隊』『丘の一本松』『浮気名女優』など、なかなかすごい。これらをまとめてリバイバルしてくれる奇特な配給会社はないだろうか。

 『Peter Ibbetson』は、パリで隣り同士だった幼い男女が年を経て再会するが、すでに女は結婚していた上に、誤って彼女の夫を殺してしまった罪で、男は終身刑の身となってしまう話。だが、毎夜二人は同じ夢を見、夢の中で幸せな月日を送るという究極のメロドラマ。ロンドンで建築家になった男性を演じるのはゲイリー・クーパー、馬好きの大金持ちに嫁いでしまった女性の方はアン・ハーディング。客席にはお歳をめした女性が多く、ラングとは明らかに客層が違う。しかも、一人で来ている人が結構多かった。「パリスコープ」には、アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム思想の驚くべき勝利」と評した映画であるとの解説記事が載っていたが、夢の場面はむしろ前衛映画的なこれ見よがしの雰囲気がほとんどないことに驚嘆させられてしまう。夢の中でだけ出会う二人は再会した日の姿のまま、いつまでも若い。やがて長い年月が流れ、年老いた未亡人は屋敷で息を引き取る。その後を追うようにして、獄中で横たわる老人もまた。これは夜ごとの夢での逢瀬だけに、その生のすべてを蕩尽してしまう人間を描いた、シネフィルにとっても他人事ならぬ名作だと思う。

2月23日(日)

 帰国までちょうどあと一月となった。いや、2月は28日しかないから、すでに一月を切っていることになる。にわかに慌ただしい思いが強まってきた。

 アクション・エコルのフリッツ・ラング特集、2時からの『ビッグ・ヒート/復讐は俺にまかせろ』(1953)。ちらしにフリッツ・ラングお気に入りの一本とある。今日から3日間は3ユーロとも出ていたのだが、そんなことはなかった。『ビッグ・ヒート』は大仰しいセットもなく俳優も地味だが、もしこれがハンフリー・ボガード主演だったらどうしようもなく通俗的になってしまっただろうと想像させるような映画。こちらと同じくラング特集に通っておられる芳川泰久さんは、B級映画の一級品だと称し、ぐっときたとおっしゃっていた。映画の後、近くでお茶。夜はコメディ・フランセーズに現代演劇を観に行かれる芳川さんと分かれた後、地下鉄でレピュブリック広場へ。シネアル・テルナティブという名画座を探すが、住所を控えてこなかったため、なかなか見つからない。それでも何とか18時の回が始まる前に辿り着けた。

 初めていった映画館だが、まるで自主上映会場のような雰囲気。結構広いことは広いが、アングラ演劇でも上演しそうな奇妙な会場で、スクリーンとちゃんとした座席との間にはかなりの距離。その間や壁際に、中にクッションをピシッと詰めた大きなビニールバックが、混んだ時の補助椅子代わりなのだろうか、ずらっと置かれている。観たのは『イグアナの夜』(1964)。テネシー・ウィリアムズの映画化としてみるか、ジョン・ヒューストンの監督作品としてみるかで評価が変わってきそうな作品だが、もちろんこちらはヒューストンの剛胆な逸脱ぶりを楽しむ。観終わった後はレピュブリック広場沿いの一軒で、映画にあわせてシェスタ・メキシコという14・3ユーロのセットを注文し、メキシコビールを飲む。チリやライスなどのお皿が篭に入って出てきて、思った以上のボリュームだった。パリでは世界中の料理が簡単にすぐ食べられるのが嬉しい。東京だってそうだと言われれば、そうなのだろうけれども。

2月22日(土)

 ルーヴル界隈に行く用事があったので、サントレノ通りの野田岩で昼食。麻布に本店があるウナギ料理の老舗。土曜日は鰻丼のランチセットはないので、桜という鰻丼、だし巻、鰻サラダ、お吸い物で23ユーロのセットを注文。併せてドリンクメニューの一番上に出ていたウナギとあうお勧めワインをグラスで。さすがに専門店だけあって、鰻の白焼き、寿司、薫製、あらいなどメニューもバラエティに富んでいる。実は通風の持病があるため、ウナギを食べるのは命がけ(笑)なのだ。オランダ産のウナギだそうで、日本のものとは若干味が違う気がする。

 パリ日本文化会館図書室で時間をつぶした後、シャイヨー宮のシネマテークでマストロヤンニ主演の『汚れなき抱擁』(マウロ・ボロニーニ、1960)。パゾリーニが脚本に参加している作品。スクリーンの下に電光でフランス語訳が出るが見にくい。どうせわからないのだから、関係ないと言えばないのだけれど。

 いったん部屋に戻って夕食を食べた後、アクション・エコルのフリッツ・ラング特集の21時半からの回へ。パリでは食後や湯上がりに映画を1本、というのが易々とできてしまう。『扉の蔭の秘密』(1947)は未見だった映画。土曜のレイトということもあって、かなりの混みよう。ラング版『レベッカ』かと思いきや、しきりと煙草をふかし、渋い声で回想を語るのが『飾窓の女』のジェーン・ベネットと来ては、恐怖に脅える女性を映しただけの映画に止まるはずもない。マイケル・レッドグレーブが演じる建築家は、世界史的な残虐殺人の行われた部屋を屋敷に再現していて、来客たちをその6つの部屋に案内する。そう言えば『大いなる神秘』の白人男性も建築家であったことを思い出す。

2月21日(金)
 昨日、パリ第7大学の日本語科図書室から『ディスクールの帝国』を借り出してきた。社団法人・霞会館寄贈による一冊。他にも近年の近世近代文化史関係の寄贈本が書棚1列分ほど並んでいた。この本に収めた文章を書いたのはわずか3年前なのだが、久しぶりに読み返してみて、あれからずいぶんと時間がたってしまった気分になる。時が流れるのは早い。

 アクション・エコルにフリッツ・ラング『怪人マブゼ博士』(1932)を観に行く。ここやアクション・クリステイーヌ・オデオンでの特集は、二つある上映室の一つで特定の映画のリプリント版を公開する一方、もう片方で例えばそのリバイバル映画の監督の代表作を日替わり上映する。『怪人マブゼ博士』公開に併せたラング特集の場合は、毎日14時からと21時半からの2回(19日の水曜は例外)。3月に入ればそう映画ばかりも観ていられなくなる。今日からしばらくはラング映画を観に通うつもりだ。『妊娠するロボット』の共著者として、フリッツ・ラングほどパリでの映画三昧の締めくくりにピッタリの監督はいないだろう。『怪人マブゼ博士』の脚本も、『メトロポリス』と同じくテア・フォン・ハルボウである。
2月20日(木)

 坂井セシルさんのご厚意でパリ第7大学の教壇に立たせていただく。さる事情から、代講のような形で1日だけ授業をすることになったのだ。パリの大学でフランスの学生を教えることなど望んでもできないことだし、とても貴重な機会を与えていただいたものと、感謝の気持ちで大学に向かう。

 先週が二学期の第一回目、今年は季節感というのを年間テーマにしており、今学期は現代小説を取り上げてゆくので、村上龍の話をして、何か具体的なテクストを少し読んでほしいというのが坂井さんからの依頼だった。昨年5月16日に一度授業を覗かせてもらっているし、日本語教育の授業は非常勤時代に経験しているので、なんとかなるかと引き受けさせていただいたのだが、約1年2ヶ月ぶりの教壇なので結構緊張する。テクストの選択も大変だった。昨日芳川泰久さんは「紋白蝶」という短編でもやったらとおっしゃって下さったが(確かに季節感というテーマ向き?)、初めて会う学生たちの前でいきなりこれを読むのはちょっと…。結局『限りなく透明に近いブルー』の冒頭の、当たり障りのない(?)部分のコピーを配布。併せて、略年譜や村上龍自身の「アメリカ」に関する発言、さらに柄谷行人や松浦理英子の「基地」に関する文章の引用を載せたA5の資料を用意。さらに、現代日本の小説家の名前がどれくらい流通しているか、また村上龍はフランスでなぜかくも人気あるのかを知りたくて、簡単なアンケートを授業前に配った。

 学生は12、3人。日本語だけで押し通す授業なので最初不安ではあったが、なんとかこちらの説明は通じている様子。3行ずつ読んでもらいながら、単語と場面の説明。小説叙述を進行させる過去の助動詞「た」がほんのわずかしか使われておらず、ほとんどの文章が「ーる。」で終わる描写の文章になっていることに目を向けさせ、映像的と言われる村上龍の描写の特徴についてほんの少しだけ触れたところでもう時間切れ。結局、用意した資料は使えずじまい。本当はそこから村上龍が、戦後日本の「被占領性」と意識しつつ「基地」が露出させる差別・被差別の構造を機軸に様々なテクストを産出してきたことを話した上で、日本とは全然異なる歴史体験、つまりナチス・ドイツにおけるパリ占領と連合軍による解放とを経験したフランスにおいて、村上龍はどんな読まれ方をしているのかを知りたかったのだが。冒頭2文目の「羽虫の音」から断線して、今さらながらの角田忠信『日本人の脳』の説、日本人は左脳(言語脳)で虫の声や風のささやきを聞くと言われているんだけど、どう思う?なんでやっている場合ではなかったな。学生たちも最後の方は駆け足になってしまったので、わかりにくかったのではないかと思う。自分の授業であれば続きは次回とすればいい訳だが、今回のは一回限り、一期一会の体験。それだけに悔いも大きく残る。

 落ちこまないよう気分を変えたくて、帰りがけにアクション・クリステイーヌ・オデオンのジョン・フォード特集で『馬上の二人』(1961)。観終わった後、映画の中のと同じようなジョッキで出てくるビールを飲みながら時間をつぶし、開店時間の19時を待ってそう離れていないインド料理店ユガラジャへ。ガイドブックにデ・プレ族好みのスノッブな高級店と出ていて、前から気になっていたお店。昨日『大いなる神秘』を観て、いよいよ行きたくなってしまったのだ。37・5ユーロのコースを注文。羊カレー&ライスは値段に見合ったおいしさ。帰宅後、今日はもう何も考えまいと早々にベッドに潜り込んだ。

2月19日(水)

 アクション・エコルのフリッツ・ラング特集。14時から『大いなる神秘/王城の掟』(1958)、16時15分からその後編である『大いなる神秘/情炎の砂漠』(1958)を観る。この2本、『ベンガルの虎』『ヒンズーの墓』というフランス公開題の方がずっとしっくりする。日本でも1999年にリバイバル公開されているが、その時に観るのを逸していた作品だ。

 ラング特集も今日だけは1本分の料金で2本続けて観られる。前編にあたる1本目が終わってトイレに行こうとした時、ちょうど2本目から観ようと入ってこられた芳川泰久さんとバッタリ会う。2本目の後編と次の前編との間が1時間も空いていたので、芳川さんと近くのブラッスリーでビール。坂井アンヌバヤールさんのお宅を伺った後、だいぶひどい風邪をひかれたとメールで伺っていたのだが、3通りの風邪の症状を順番に経験したけれども、今はすっかり直られたそうだ。帰国にあたって銀行口座をどうするかといったお話など。スパイ小説の原稿について、まだ書いてないの?と呆れられてしまう。再びアクション・エコルの地下の上映室へと降りてゆく芳川さんを見送った後、明日の準備をするため早めに家路についた。

2月18日(火)
 朝10時、不動産屋が日本人男性二人を部屋を見せに連れてくる。少し前には家主夫婦も部屋に来て、待機していた。次が早く決まってほしいのはこちらも同じなので、使い勝手のよさをいろいろと説明。背の高い会社の上司とおぼしき男性はここでいいんじゃないかと言っていたが、実際に住む予定の若い男性は戸惑っている感じにみえなくもない。食器類を見て「これも全部使えるんですか!」と少し驚いたりしていたが、日本のマンションとはだいぶ違うところもあるし、なかなかすぐに判断できないのだろう。借りるのは個人ではなく、会社の方だとも言っていたし。家主夫婦には日本語でいろいろ説明したことを感謝されたけれども、日本人的感覚から言うと少しお節介にしゃべりすぎたかも知れない。知り合い相手ならば、こちらが帰国時に置いていってもいいあれこれや情報面での付加価値まで含めて、家賃さえ折り合えば即決するだろうけど。ともあれ、一日も早くいい人に決まってほしいと願っている。

 少し昼寝をした後、オペラ大通りにあるクレディ・リヨネ銀行に寄り、来月分の家賃引き落としを停止してくれるようにと日本人担当者への伝言の紙を渡す。最終月分の家賃は敷金から引いてもらうことにしたからだ。ここは窓口の若いフランス人男性も日本語に堪能なので助かる。待っている時にちょうど電話がその男性にかかってきて、いきなり日本語で話し始めたので始めて知ったのだけれども。

 その後、アクション・クリステイーヌ・オデオンのジョン・フォード特集、16時からの回で『男の敵』(1935)を観る。日本で幾度か観た映画だが、ジョン・ガードナー『スパイの家系』を読んだところなので、ついまた観たくなってしまったのだ。『スパイの家系』はイギリス秘密情報部の誕生に深く関わったレイルトン家の人間たちの運命を描いた小説だが、ドイツが潜在的な脅威として浮上してくる過程と、アイルランド独立運動という「国内」問題とが、密接な関わりを持つものとして描かれている。『男の敵』はアイルランド系移民の子であるフォードが、20ポンドの金のためにシンフェーン党の仲間を警察に売った男の一夜を描いた映画。大男のヴィクター・マクラグレンの目の表情は、何度観てもいい。

 さらに、フォーロムデシマージュへ移動。今日は「Revoir Paris」(パリ再見)というプログラムの一日で、19時からの『薔薇のスタビスキー』(アラン・レネ、1974)、21時半からの『人生はわれらのもの』(ジャン・ルノワール、1936)を観る。映画の前後に解説が入る形だったので、15分ほど遅れて会場に入ったらちょうど始まったところだった。『薔薇のスタビスキー』はモデルが実在する実業家(実は稀代の詐欺師)をジャン=ポール・ベルモンドが演じた訳だが、お金持ちの世界をただぽうっと観ていればいいという感じ。何と言っても『人生はわれらのもの』なのだ。

 フォードが政治から人間の側へと移した眼を、翌年ルノワールは再び見事に政治の側へと移し戻した。などという感想さえも賢しげで嫌になるほど、いい映画はやはりいいと実感する。1934年から35年にかけてのファシズムの台頭と人民戦線の結成とをシネ・モンタージュする一方、劇映画的要素も組み合わせた分類不可能のこのプロパガンダ映画は、わからない人には絶対わからないだろうなあとは思うけれども、優れた映画は見事に人間的であると同時に、真に政治的でもあるのだという単純な事実をこそドキュメントしている。
2月17日(月)

 映画『JAPON』(Oの上に´)を観る。昨年のカンヌ国際映画祭カメラ・ドール・スペシャル・メンションを受賞したメキシコのカルロ・レイダラス監督の長編第一作について、他ならぬ日本ではどの程度の情報が流通しているのだろうか。死に場所を求めて山間の村に辿り着いた男の物語が、日本とは何の関係もないことはあらかじめ知ってはいたのだが、そのことが逆に日本公開の足枷にならなければいいのにと思う。響き渡る音楽はタルコフスキーを思い起こさせるが、そうした類比を幾ら積み重ねても、映画はすり抜けてゆくばかりだろう。映画的持続の質において傑出した一本であることは確かだが、取り壊し寸前の陋屋での宿の老女との床入りのシーンなど、感動という単語さえも斥けるものが溢れていて、言葉は宙に舞うばかりだ。

 『JAPON』を観た映画館レ3リュクサンブールのすぐ向かいには、日本料理店が4軒も並んでいる。通り全体では10軒くらい日本料理店がある。Rue Monsieur le Prince=寿司焼き鳥横町というのも変な感じだが。一番リュクサンブール公園に近い店に入る。入口横のフロアはフランス人の若い男女ばかり。それも女性同士、男性同士、あるいは3人のグループ。デートにはちょっとだが、友達と行くならリーズナブルでいいという感じなのだろう。お祓いするような気持ちで、寿司&刺身&焼き鳥の15ユーロのセットを注文する。

 実はすぐ目の前のサン・ミシェル大通りの交差点で、交通事故を目撃したばかりだったのだ。赤の信号の歩道を、車が来ないうちに渡り切れなかったカップルが立ちすくむところに、オートバイが突っ込んできて横転。信号待ちでその場にいた誰もが一瞬息をのむ。路上の男女は無事だったが、ライダーは足を抱えて苦しんでいた。すぐ後から乗用車も高速で来ていたので、一歩間違えれば大変な大事故になるところだった。車通りの激しい大通りでは、片方の車線の側の信号が青に変わっても、もう片方は赤のままの時がよくある。一気に渡りきれるとは限らない。まして暮れなずむ時間帯は、遠くからとばしてくる車やバイクを見極めにくいから恐い。

2月16日(日)
 安息日。こちらに暮らしていると、この言い方の方がしっくりしてくる。それくらい日曜は閉まっているお店も多く、あたりも静かだからだ。目の疲れを癒すためにも、今日くらいは映画も止めておこうと部屋で本を読んでいると、12時少し前に家主のご主人がやってくる。すっかり日曜大工(?)に目覚めてしまったのか、壁に新たな複製の絵を取り付け、寝室のカーテンレールを取り替えてゆく。どこから持ってくるのか、現在壁に架かっている絵はすごく小さいのも入れて全部で8枚。13時少し前に奥さんから電話。ご主人を迎えに来る時ランチにと、イラン風のカレーライスを一皿持ってきてくれた。

 せっかくのいいお天気なので、15時過ぎに部屋を出て、散歩がてらにビル・アケム橋を渡ってすぐのところのワイン博物館を訪ねる。パッシーの高級住宅街に埋もれたようにある、小さな博物館。以前はエッフェル塔のレストランのワインカーヴ、さらに前は修道院だったという。洞窟の中のような順路を行くと古い葡萄用の農具やワインの製造器具が陳列してある。デギュスタシオン(試飲)付で6・5ユーロ。博物館を見終わった後、受付を出て左手に並んだテーブルの椅子に腰掛けて待っていると、試飲を勧めにきてくれる。赤・白・ロゼから選べるが、レストランのグラスワインほどに満杯に注いでくれる訳ではない。たまたまなのかも知れないが、受付の若い男性が試飲の係まで一人でやっていて、訪問者が切れるまでしばらく待たないといけなかった。受付のすぐ先が販売品のコーナーでワインも買える。パンフレットや絵葉書を購入。バルザックに関する小冊子があったので、それも頼むが在庫がないらしい。バルザックを調べているのならと、見本に出してあった最後の1冊を4・5ユーロから2ユーロに値引きしてくれた。すでにあまりにボロボロで、得かどうかわからなかったけれども。
2月15日(土)
 昨日に続けて映画を3本はしご。さすがに目が疲れて痛い。まず、アクション・クリステイーヌ・オデオンのジョン・フォード特集の14時からの回で『バファロー中隊』(1960)。白人少女の強姦殺人と逃亡容疑で起訴された黒人曹長をめぐる法廷劇。黒人軍の姿が神話化される一方、アパッチ族の形象は従来のまま据え置かれる。ハリウッド映画における人種表象の問題を考える際に抜かせない映画だが、こうした厄介な題材を少しも揺るがせにしないフォードの演出力にも驚嘆させられる。ただプリントの痛みが激しく、原告側と被告側の言い合いの途中でところどころ飛ぶのはつらい。プログラムのちらしに「CME」(Copie en mauvais etat〔etatのeに´〕)とプリントの状態が悪いことをあらかじめ断ってあるので、しょうがないと言えばしょうがないのだが。

 急いで地下鉄に乗り、シャイヨー宮のシネマテークへ。16時半からの『狂った夜』(マウロ・ボロニーニ、1959)を観る。監督デビューする以前のパゾリーニの脚本。乗換がスムーズにいかず5分ほど遅れてしまったが、なぜかまだ始まっていなかった。さすがに客席もまばら。もう少し入るのを待っていたのだろうか、10分遅れで上映開始。冊子にはフランス語字幕付とあったが、なぜか英語字幕付で、もちろんこの方がありがたい。野外撮影を主として青年たちの無軌道な行動を描いた映画で、同じくパゾリーニが脚本を書いたベルトリッチのデビュー作『殺し』(1962)に通じるような面もなくはない。階級による貧富の格差が圧倒的な状況のもと、青年が盗んだ友人から取り戻した大金をその友人の彼女をすっかり蕩尽しつくしてしまうまでの物語。

 中華料理店で夕食を取った後、パリ日本文化会館で19時半から『ソナチネ』(1993)。フランスで現代日本の文学を代表する作家が村上龍ならば、監督は完全に北野武だ(宮崎駿を別格としてだが)。そのKITANO TAKESHIの名を広く知らしめたのが、このジャパニーズ・フィルム・ノワールの傑作なのだ。土曜の夜のせいもあろうが、他の作品よりも入場者も多く、100人は越えていただろうか。場所柄か3分の1くらいは日本人、それもほとんどが若い女性だったが。しかし、以前にも書いたがパリ日本文化会館の大ホールは最後のキャストが流れ始めると早々に明かりを全部つけてしまう。当然皆ぞろぞろと出ていってしまう。最後のあの忘れがたいひまわりのカットまで客席にいた人は1割もいなかった。ベータービデオをスクリーン転写しての上映で、当然画面もかすむ。海外に日本文化を伝える公的使命を担った場所なのだから、こうしたことくらいちゃんとしてほしいと思う。
2月14日(金)

 聖バレンタインデー。こちらには日本のように、女性が男性にチョコレートを贈る習慣はない。スーパーや駅構内にも義理チョコの販売ブースなど出ていない。さすがに5ッ星のラ・メゾン・デュ・ショコラやディズニーランド・パリのショップにはハート型のケースに入った特製詰め合わせがあったけれども、これらは日本人対応なのだろうか。

 そしてこちらでは、男性が女性に花をプレゼントするしきたりになっている。一般にはカーネーションだと聞いていたが、町中の花屋にずらっと並んでいるのはバラの花束だ。地下鉄で年配の男性が、妻に持って帰るのであろうか赤いバラの花束を大事そうに抱えたりしている。より驚いたのはイギリスのストラトフォード・アポン・エイヴォンでは、パブの入口にバレンタインデー特別ディナー予約受付中の貼り紙や立て看が出ていたことだ。このディナーの誘いも男性からするのが普通で、払いも当然男性なのだろうか。とするならば、チョコをもらえようがもらえなかろうが、日本の男性の方が幸せな気がしないでもない。

 アクション・クリステイーヌ・オデオンのジョン・フォード特集、今日は『メアリー・オブ・スコットランド』(1936)。メアリー・スチュアートを演じるのはキャサリン・ヘップバーン。途中ミュージカル風の場面を織り交ぜながらも、フォードは忠実な歴史の再現とも舞台劇風の大仰しさとも異なる、まさに映画的としか言えない悲劇を見事に構築してゆく。その不思議さをうまく言葉にできない。

 16時半からのフォードを見終わった後は、地下鉄で久しぶりにグラン・ブールヴァールのシネマテークへ。ここでは金曜日の晩に時々シネマBISという2本立てプログラムを組んでいる。ホラーとかセクシー・コメディとか、普段のシネマテークではかからないB級風の映画ばかり。今日は「エロティシズムと幻想」というタイトル。なぜ観に行ったかと言うと、一本目の『Kiss Me Quick!』(Seymour Tuchas、1968)というアメリカ映画のフランス語タイトルが『フランケンシュタインの性生活』(『La Vie Sexuelle de Frankenstein』)となっていたからだ。

 シネマテークはなんと満員。どう考えても、キッチュな際物映画に間違いなさそうなのに。グラン・ブールヴァールの方でこんなに混んでいたのは今回始めてだ。2本とも18歳以下禁止の成人映画だが、女性の姿もパラパラとだが結構見あたる。シネマテークのすぐ脇の簡単に食事ができるトルコ料理屋で注文したミックス・グリルが出てくるのが遅くて、開映ぎりぎりの8時直前に行ったら、危うく入れてもらえないところだった。こちらでは長い列ができた場合、全員が席に着くのを待って上映を開始する。15分遅れでようやく上映が始まった。最初にポルノ映画の予告編が3本。客席の反応がよくて、すぐに笑い声が起こる。これは期待できそうだと心してスクリーンを見入るが…。『フランケンシュタインの性生活』は宇宙人が博士の研究室にやってきて、一緒に覗き窓風の機械で、女性たちが服を脱いだりプールで戯れたりするのを次々と見てゆくお話。チープ・ショーのような女性たちの仕草をキャメラが追うだけで、正直退屈。フランケンシュタインの怪物やドラキュラやミイラ男(?)も出ては来るが、まさにただ出てくるだけ。日本ではこの映画でこれだけの観客が集まるなんてことは絶対にないと思う。

 休憩後の22時から再び別のポルノ映画の予告編3本の後に、『Una Vergine tra i morti viventi』(Jess Franco、1971)。リヒテンシュタイン、イタリア、フランス合作映画だそうで(別に国を挙げてポルノを合作している訳ではなく、スポンサーか配給の関係だろうが)、フランス題は『Christina Princesse de L'Erotisme / Une Vierge chez les Morts-Vivants』(Erotisme のEに´、1971)。と言っても、歴史ものでも何でもなく、シャトー(と言っても大きな城ではなく、どちらかと言えば普通の洋館)にやってきたクリスチーナという若い女性が主人公。周りにいるのは得体の知れない怪しげな人間ばかり。やがて死んだ父の幻影を見るようになったヒロインは、いつしか幻想の世界にはまりこんでゆく。と来て、実は話すべてが最初に泊まる旅籠屋で見た悪夢だったのかも知れないと思わせてから、最後に女性二人の睡蓮の池への入水シーンとそれを芝生で黙って立って見送る他の人物たちのカットが来る。さすがにこのあたりはしいーんとしていたが、途中では何が面白いのかよくわからないけれども、時々会場全体から爆笑の声があがって結構大受けだった。

2月13日(木)
 パリ第7大学の坂井セシルさんのところにちょこっと伺う。図書室で『昭和文学全集』の村上龍が入ってくる巻を借り出してくる。その後、アクション・クリステイーヌ・オデオンのジョン・フォード特集で『最後の歓呼』(1959)。ラストが予想と違って、少したじろぐ。50年代の終わり、すでにフォードをもってしても、キャプラのような民主主義謳歌の映画は撮りえなかったということだろうか。少し体調のリズムを壊しかけている気がするので、行きつけのカフェで早々に食事をして帰るが、そう早く寝られるものでもなかった。
2月12日(水)
 ジョン・ガードナー『スパイの家系』(新潮文庫)を読んでいる。ようやく上巻の終わりに近づいたところだ。19時からシャイヨー宮のシネマテークでパゾリーニのドキュメンタリー映画を2本。『Appunti per un film sull'India』『Appunti per un Orestiade afriacana』。題名の通りインドとアフリカを撮ったドキュメンタリーだが、いずれも熱帯の暑さを感じさせない寒々とした印象の映画。今日は外に出ると思いがけぬほどの冷え込み。デュプレックス駅近くの瀧で、湯豆腐と焼き鳥をつまんでから帰る。

 今発売中の週刊誌「SPA!」(2/18号)に『任ロボ』の紹介記事が載っていると、奥山文幸さんからメールで連絡いただいた。これで少しは人目に触れてくれるといいのだが。
2月11日(火)
 読まなければならない本が結構溜まって困っている。こちらでは日本語の本だというだけで結構貴重な気持ちになるのだが、一方で帰国が迫ってくると日本語の本は帰国後に読めばいいという考えにもなってくる。だが、帰国後に十分な読書時間がとれるという保証など、どこにもありはしない。

 ともかくも返却期限が過ぎているエスパス・ジャポンからの借出本を読まねばと、アガサ・クリスティ『秘密組織』(創元推理文庫)を読み上げる。タイトルから察せられるように今日的には「スパイ小説」に分類される作品だろうが、物語の骨子は「冒険青年株式会社」を結成する若いカップルの冒険譚、つまり「冒険小説」を企図したものだと言える。ホームズものの第1短編集が『シャーロック・ホームズの冒険』と銘打たれていたように、「冒険」「探偵」「スパイ」とはきわめて近似的な関係にある。などと考え始めるといよいよ読まねばならない本が増えてきてしまうのだった。
2月10日(月)

 アクション・クリステイーヌ・オデオンのジョン・フォード特集。16時から『モホークの太鼓』(1939)、18時から『肉弾鬼中隊』(1934)。今日だけの『肉弾鬼中隊』よりも連日上映中の『モホークの太鼓』の方が長い列ができている。メソポタミアの砂漠を舞台に、見えない敵によって次々狙撃されてゆくイギリス人中隊を描いた男だけの戦争映画よりも、初のテクニカラー作品の西部劇の方がずっとフォードらしいということなのだろうか。中尾ミエそっくりのクローデット・コルベールの開拓民の新妻、家に火をつけられても亡き夫のベッドを頑として動こうとしないエドナ・メイ・オリヴァーの牧場の女主人。インディアンの追っ手を走って振り切り援軍を呼んでくるヘンリー・フォンダの影は薄く(むしろ強烈な印象を残すのは、新婚カップルへの復讐かと思わせるほど執拗に攻撃を仕掛けてくるジョン・キャラダインの片目の首謀者だ)、これは遺作『荒野の女たち』に遙かに先立つジョン・フォードの女性映画ではないかと思う。

2月9日(日)

 雨の日曜日。昨日のディズニーランドの疲れが残り、だらだらと時間が過ぎてゆく。シャイヨー宮のシネマテークのパゾリーニ特集へ。パゾリーニの映画は日本でもほとんどビデオやDVDで販売されているし、さほど食指を動かされる訳ではないが、ドキュメンタリー作品や脚本執筆作の幾つか、パゾリーニに関するドキュメンタリーなどもプログラムに組まれており(ただし『ロゴパク』『華やかな魔女たち』『愛と怒り』といった他の監督たちとのオムニバス映画は含まれていない)、「知られざるパゾリーニ」を発見する機会となるかも知れない。

 16時半から映像詩『La Rabbia』(1963)。53分のフィルム・モンタージュだけでは物足りない気がして、カフェで時間をつぶした後、『テオレマ』(1968)。こちらなどほぼ満席の盛況。しかも若い人たちが多い。パリではその名もアッカトーネという名画座でも連続上映されているし(アッカトーネは監督第一作のタイトル)、カルトな人気を根強く保ち続けていることに少し驚く。パゾリーニの映画はさして好きでないし、退屈に感じる時も多いのだが、気にならないかというとそんなことはない。詩人でもあった彼が引きつけた言葉の磁力に興味があるということなのだろうか。

 さすがに21時からの『豚小屋』はパスし、近所の行きつけのタイ料理店で夕食を食べて帰る。日曜日でも遅くまでやっている貴重なお店。ご主人はラオスの出身だそうで、そのせいか他のタイ料理店とは味もメニューも雰囲気もどこか違う。とくに辛くないし、日本人の味覚にとても合いやすい。ケチャップ味のチャーハンなど懐かしい日本の味といった風だ。気になっていた蛙の足のソテーを注文。ギリシア料理の蛙とはやはり種類が違って、小さめの鶏の手羽先といった感じ。見た目だけではなんだか分からないだろうし、食べやすくておいしい。後は大のお気に入りのカレーを。唯一の不満はカレーの種類がカモとビーフしかないことで、野菜カレー、チキンカレー、ポークカレー、羊カレー、そして蛙カレーも作ってくれないものか。お店の名前は書かない。地元の常連さんでいっぱいの小さなレストランなので、これ以上混んだら入れなくなってしまうからだ。

2月8日(土)

 ディズニーランド・パリへ行く。妹ははっきり迷惑そうな顔をしているが、こういう機会でもないと行く気にはなれないので、無理矢理連れて行ってもらう。妹たちの今回の目的はロンドンのミュージカル『ライオン・キング』とここだそうで、わざわざそのために2月3日からのロンドン・パリ周遊8日間のツアーでやってきたのだ。パリ観光は昨日一日だけ(それでもヴェルサイユもルーブルもオルセーもポンピドゥーも凱旋門もカルトミュゼ使って駆け足でまわったそうだ)、明日の朝にはもう日本へ帰るのだと言う。

 RERのA4号線終点で下車し、ゲートの前で29ユーロの1日券を購入。シーズンオフなので、10ユーロほど安い。ゲートをくぐり、メインストリートUSAを抜けると、園中央の眠れる森の美女の城が見えてくる。最初にファンタジーランドへ。妹の彼氏がスペース・マウンテンのファスト・パスを取りに走っている間にピーターパン・フライトの列に並ぶ。ついでピノキオ、白雪姫。その後はディスカバリーランドのスペース・マウンテンとスター・ツアーズへ。ここの駅からぐるっと蒸気機関車で園の外側を一周。シーズンだとメインストリート駅でかなり並ばないと乗れないらしいが、今ならむしろ最後のディスカバリー駅から乗るべき。などと書けるのも、今日だけはこちらがガイドしてもらう側だったからだ。

 東京ディズニーランドにないアトラクションとしては、アドベンチャーランドの奥にそびえるインディアナ・ジョーンズ(後向きで乗るかなりハードなシェットコースター)があるが、スペース・マウンテンもジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』をモチーフにし、大砲から撃ち出される形でスタートするなどかなり違っていて、日本のよりすごいのだそうな。直ぐ横にはネモ船長の潜水艦ノーチラス号があって内部を見学でき、ここだけはジュール・ヴェルヌ・ランドみたいになっているのがフランスらしい。庭園の緑の迷路を経巡るアリスの不思議な迷宮はいかにもヨーロッパ風の雰囲気。ファントム・マナーも日本のホーンテッド・マンションとはかなり違っていて、もやで霞んだ建物の外観が何とも妖しげだ。カリブの海賊、イッツ・ア・スモール・ワールドも日本より若干時間が長い感じで、多少異なった造りになっている。オフシーズンなのでどのアトラクションもほとんど待たずに入れるのが嬉しい。ちなみに一番人気は、待ち時間45分の空飛ぶダンボだった。フロンティアランドのビッグ・サンダー・マウンテンの回りの池を一周する遊覧船から見た夕刻の暮れなずむ景色はリアルだったし、その池のさらに奥にある劇場の、ミッキーらがフィギュアスケートで踊るウインターショーも見逃せない。それに比べてがっかりなのはパレードで、毎日4時からのは(さらに期間限定のカーニバルは特に)あまりにあっけない感じで、妹はずいぶんと文句を言っている。さすがに閉園前の電飾きらめくエレクトリカル・パレードは見事だったけれども。

 昨年開園10周年を迎えたディズニーランド・パリは必ずしも東京ほどに成功しておらず、地元のリピーターが少ないなど入場者数も伸び悩んでいるらしいが、確かにお祭り的な華やかさに若干欠ける印象は否めない。これはアメリカ型のレジャーランドがフランスに合うかどうかといった問題ではないようだ。園内のキャストの少なさに典型的に現れているように、人件費を切りつめようとしているのがはっきりと見えてしまう。メインストリートのショップも、店の傾向は多少違っても置いてある品物はどこも同じと、グッズ類のヴァリエーションも乏しい。お土産と言えば、マニアのHP等にも載ってないらしい情報を一つ。園を出てすぐのところに、前シーズンの売れ残りのTシャツやセーターなどのワゴンが出ている。どれも半額以下。たくさん土産を持って帰る必要があるならば、ここで子供用のTシャツなどを買い込む手もあるのではないか。日本では前シーズンのものかどうかなんて、まずわからないのだから。

 閉園後、近くのディズニービレッジへ。レストランやショップや映画館が集まった短い通りだが、入る前に手荷物検査がしっかりある。ステージでショーもやっていて、通りの雰囲気からしていかにもアメリカ!といった感じ。ここで夕飯を食べて帰る予定だったのだが、閉園直後の時間ではレストランはどこも満席。プラネット・ハリウッドもカフェ・ミッキーもレインフォレスト・カフェも列ができている。食事はパリ市内でとることにし、RERに乗った。ユシェット通りのギリシア料理店で串焼きを奢る。妹は、こういう店の方が気楽でいいなどと言いながら、ワイン(クレタ・ロゼとクレタ・ルージュ)をぐいぐい飲む。兄に対する敬いと感謝だけはついぞ持ち合わせていないのだった。店を出たのは12時半近く。妹たちはパリでは三晩続けてホテルに午前様で、明日は朝9時過ぎにツアーの迎えの車が来るそうだが、ちゃんと起きられるのだろうか。

2月7日(金)

 島村輝さんに必要あってメールの添付ファイルで送っていただいた、昨年秋の日本文学協会大会での発表原稿「中国の日本近現代文学研究者は何を目指しているのか」と読んだ。女子美大教授の島村さんは1999年に北京の日本研究センターで半年、そして昨年も広州外語外資大学で3ヶ月教壇に立たれている。そうした機会での経験見聞をもとに、いま中国で、方法論的なパラダイム・チェンジを通して学問上の「租界」としての「日本学」がどのように作り変えられようとしているかが、具体的な例を挙げてレポートされている。昨年も日文協大会の参加者は多くなかったようだが、発表内容は機関誌「日本文学」に掲載されるので、いずれ多くの人の目に触れることだろう。

 ここフランスでも、「日本近代文学研究」を包括する学問的仕切りは「文学」ではなく、まずは地域研究としての「日本学」である。その上でどう「文学研究」を含む他の学問領域と関わってゆくかが課題として浮上する。つまり、日本における「日本文学」の研究とは学問的なコンテクストが異なるのだ。そうした場にともかくも身を置いて思考することは、日本における「日本文学」の自明性を問い直すことに当然直結してゆくし、異国において読んだ分だけ余計その切迫感とリアリティとを感じた面も、あるいはあるかも知れない。

 もちろん中国などアジアの「日本学」の現状と、ヨーロッパのそれとの差異も気にかかる。招聘教授として教壇に立つのと、滞在研究者として受け入れてもらうのとの違いは大きいと思うが、自分のささやかな経験から推して、ここヨーロッパの「日本学」の学会や教育の場においては、日本からやってきた研究者が「ソトなるウチ」の居心地のよさを感じることなどほとんどないのではないか。坂井セシルさんを始め、多くの方に本当に懇切にしていただいたが、そこで自分が感じたのはむしろ「ウチなるソト」の確かな手応えである。少なくともフランスやイギリスの「日本学」はそれだけの時間的学問的蓄積と自律性とをすでに有しており、そうした隣人との関わり方を真に考えないままでは、「日本文学研究」は自閉的な隘路に入ってゆくだけだろう。島村さんは実りある交流を実現するために、日中両国における研究の「非対称性」に無自覚であってはならないことを強調するが(それは本当に大切なことなのだが)、自分には一方で御当地国と異国の研究とは所詮非対称的で異なるものだという思いこみも徹底的に粉砕したい思いが強くある。

 それにしても中国では、毎年万単位の日本語専門家が養成されているというからすごい。今日本ではそれぞれの国・地域との関係が課題になっているだけだと思うが、中国の「日本学」とヨーロッパの「日本学」との関係がダイレクトに問題になる日もそう遠くないのかも知れない。


 16時半からパリ日本文化会館で『双生児』(塚本晋也、1999)を観る。その後、いったん部屋に戻り、妹たちからの電話連絡を待つ。明日も夕飯を食わせろと言うので、それなら部屋まで尋ねて来いと言ったのだ。21時近くにエッフェル塔の下で待ち合わせることに。せっかくの機会なので、夜の塔の上までエレベーターで昇るが、もやのせいでさほど見晴らしもよくなく、やはり展望は晴れた日の昼間がいいと思う。すでにモノポリ閉店時間を過ぎてしまったため、サンドイッチを買うくらいしかできない。部屋へ着くと妹は、また散らかしているなどと騒ぎ立てる。母親から兄の暮らしぶりを偵察して来いと言われてたらしい。掃除整頓したばかりだし、ずいぶんとさっぱりした生活をしているのだが。今日も冷蔵庫のビールと白のポルト酒をずいぶんと飲んでから帰っていった。

2月6日(木)

 朝9時半に不動産屋が部屋を見せに人を連れてくると家主から言われる。しょうがないのでいつもよりずっと早く起きる。8時ではまだ外は暗い。9時半少し前には家主のご主人もやってくる。実は昨日、人に見せるために部屋のソファや机の位置を変えたいと言われて移動までした。大きな窓の手前に長いソファをどんと置いて暮らしていたのだが、借りた当初のように壁際へ。この方が部屋がぐんと広く見えることは確かだ。ごちゃごちゃした部分もできるだけ整頓し、ごみもだいぶ出した。自慢の息子さんが大学の医学部に入ったばかりでお金のかかる時期だけに、間を置かず次の借り手をみつけたいのだろう。こちらも何度も幾人も部屋を見に来られてはたまらないから、一発で決まるようできるだけのことはしたのだ。

 ところが、9時半を過ぎ、10時をまわっても不動産屋は現れない。どうかしたのかと思って、携帯に電話を入れる。と、今日はそんな約束は入っていないという返事。どうやら家主の側の早とちりだったらしい。なにやら気が抜け、早々にまたベッドに潜り込んだ。

 
 夕刻、部屋を出てモンパルナスに向かう。実は妹が彼氏とパリに来るというので、18時45分頃にヴァヴァンの駅で待ち合わせることにしたのだ。ロンドン・パリ8日間の格安ツアーで、ロンドンからの移動はユーロスター、パリのホテルは15区のポルト・ド・ヴァンヴ駅の近く、荷物を置いたらすぐ凱旋門を見に行くから、その後でおいしいものを食わせろ。以上が送られてきたメールの概要で、少し奮発してヴァヴァン駅を出てすぐのル・ドームに連れてゆくことにした。20世紀初頭に芸術家たちが集まった有名なカフェで、横光利一の『旅愁』にも出てくる。アールヌーヴォーの内装で、壁にはゆかりの画家や作家らの写真が何枚も貼ってあり、ギャルソンが案内した席の近くの写真を指さしながら「Fuzita-san」(藤田嗣治)だと教えてくれる。現在はカフェは通りに面した部分だけで、後は魚料理が自慢のレストラン。海の幸のプレートを取り、白ワインのミュスカデを注文。さらに鯛と舌平目。3人でワインを結局3本も空けてしまい、一週間分の食費があっという間に飛んでいった。

 パリ北駅からホテルへのタクシーが途中時間がかかって、妹たちはパリにきてまだ何も見てないという。デザートはパスして、モンパルナス・タワーの69階からの夜景を見に行くことにする。閉館ギリギリ。その後は駅前のビール・バー。修道院ビールの生がすっかり気に入った様子。ロンドンでは物価が高くて、あまりおいしいものを食べたり飲んだりできなかったらしい。しかし、よく飲むもんだと我が妹ながら呆れ…、いや、感心してしまう。

 日本の実家に届いた『任ロボ』の礼状葉書も持ってきてくれた。ご本人の許可なくここに挙げる訳にはいかないのだが、栗坪良樹さんや荻久保泰幸さんのものなど、そのまま宣伝コピーに使えるような評言で、嬉しくなってしまった。

2月5日(水)

 今入学試験の真っ最中だと書かれたメールが最近は日本から届く。少し前は大学の年度末試験やレポートのことがしばしば書いてあった。自分の本務校も明日から前期入試。工科系大学といっても、建築都市デザイン学科は物理、化学の代わりに国語でも受験できるので、例年ならば採点業務に追われる時期だ。

 煩瑣なあれこれから今年だけは免除されている幸福を噛みしめつつ、今日はこちらの成績発表の仕方を記しておこう。実はパリ第7大学に行ってみて驚いたのは、各科目毎に学生の成績が合格不合格を問わず、ずらっと百点満点の素点で貼りだしてあったことだ。最近は日本でも情報公開が叫ばれ、大学入試でも希望者に点数を開示するところが増えてきている。と言っても、開示されるのは本人にだけで、すべての受験者の成績を、誰もが見れるように公表したら、今度はプライバシーがどうの序列化がどうのといった問題に必ずなるだろう。しかし、日本流の開示の仕方が不徹底なこともまた確かな訳で、本人の点数が妥当かどうかだけでなく、他者に対しても不正が行われていないことまで示さなければ、本当に公正な判定がなされたと証明したことにはならない。実際、成績評価でクレームをつけてくる学生のほとんどは、なぜ自分だけが不合格なのか?と周りとの相対評価において疑問を抱いている訳で、本当は自分の点数だけ聞いても納得できるものではないのだ。単純にフランスのやり方が正しいとは言わないが、西洋市民社会の「公共性」とはこうした徹底さがあって始めて可能なものだということなのだろうか。


 アクション・クリステイーヌ・オデオンのジョン・フォード特集が始まった。『モホークの太鼓』のリプリント版が連日上映されるほか、もう一つの上映室でも別の作品を日替わり上映。初日の今日は特別プログラムで3作品がかかる。14時、16時の『幌馬車』はパスし、18時30分の『荒野の女たち』(1965)から。アン・バンクロフトの荒々しくかつ毅然とした演技がすごく印象的な、言わずと知れたジョン・フォードの遺作だが、思った以上に空いている。パリではフォードはあまり人気がないのか、それともシネマテークのパゾリーニ特集も今日からなのでそちらに皆行ってしまったのか、などとつい心配になってしまう。

 しかし、今日のメインは何と言っても20時30分からの『Bucking Broadway』(1917)修復版の特別上映なのだ。最初期のハリー・ケリー主演のサイレント西部劇。どんどんと席も埋まり、やはりこうでなくっちゃと嬉しくなる。最初に修復に関する説明と質疑応答が30分以上あってから、いよいよ上映。舞台は西部からやがてニューヨークへと移り、高級ホテルへとカウボーイたちがなだれ込んでの大乱闘となる。その縦の構図のカットの爽快さ&すごさ。ジョン・フォードの傑作の幾つかは、観終わったあと止めどなく元気が溢れ出て来るような幸福感を与えてくれるのだが、これはすでにフォード的世界の原質がぎっしり詰まったような作品だった。

2月4日(火)

 エコル通りから少し入ったところにある映画館ルフレ・メディチ・ロゴへ。ここはパリの名画座には珍しく12時前に始まる回があり、料金も5・5ユーロと割引になる。特集でメキシコ時代のルイス・ブニュエルを日替わり上映中。ブニュエルはほとんど観ているが、『La Jeune Fille』(1960)は未見だった作品。メキシコ時代で唯一英語による映画である。レイプの嫌疑をかけられ島に逃亡してきた黒人と、祖父が死に乱暴者の男と二人で暮らさなければならなくなった少女と。いまにも暴発しそうな暴力と性の危うさに満ちたフィルムだが、あっけらかんとしたその突き抜け方もいかにもブニュエルだ。こんな映画にあっさり出会えてしまうから、パリでの名画座通いは止められない。

 その後は、市立近代美術館へ。1937年の万国博覧会の日本館だった建物の東翼。現在は「フランシス・ピカビア」「マレヴィッチ」の二つの特別展を開催中で、入場料はそれぞれ7ユーロ、5ユーロだが、共通券だと6ユーロと実質上半額になる。ロシア・アヴァンギャルドの画家マレヴィッチの展示をまず見た後、ピカビア展をゆっくり見る。印象派からダダイズム、シュールレアリスムを経て、絵葉書や雑誌のヌード写真などを素材にした作品などへと次々画風を変えていったピカビアは、その変貌自体がよくも悪くも20世紀芸術の在り方を象徴するものだと語られもするのだが、こうして一気に俯瞰する機会が与えられると別の感想も生まれる。個人的に今一番興味があるのはダダイズムの時期の、男女の性を機械イメージによって表現した作品なのだが、晩年の厚く塗り込めたキャンパスに幾つかの点だけが浮かぶ作品を見ていると、一筋の糸のようなものが引ける気がしてくるのだ。

 市立近代美術館は19時までなので、近くのカフェで食事をとった後は、同じ建物の西翼のパレ・ド・トーキョーをふらつく。部屋毎の仕切りがなく、壁も床も工事途中のように剥き出しになっていたりするこのコンテンポラリー・アートの展示場は、いったい何をどう見たらいいのかもわかりにくいくらいで、文字通りふらつくしかないところだ。入場者数が予想よりもふるわないというが、既成のミュージアム概念を壊そうとするコンセプトが新しすぎたということだろうか。入口そばのショップには、品揃えこそ少ないが、日本のフィギュアやアーチストのデザインした小物、さらに食品や飲み物まで売っている。しかし、Boss の缶コーヒーが5・5ユーロは高すぎるよなあ…。それとも、缶のデザインの値段なのだろうか。本のスペースにも日本関係のものが目立つ。『Roadside Japan 珍日本紀行』という本をすっかり見入ってしまった。『人形、ロボット』(“Poupees, Robots La Culture Pop Japonaise”Poupees の前のeに´)という現代日本文化論の研究書(だよな?ガングロの少女たちの写真が載ってたが)と、半額だというので“Le Musee du Cinema”(Musse の前のe、Cinema のeに´)という超厚い本を買った。

 20時をまわったので、シャイヨー宮のシネマテークへと歩いて向かう。20時半から、ピカビア展のための特別上映があるからだ。1920年代のアヴァンギャルド映画が5本。『理性への回帰』(マン・レイ、1923)と『エマク・バキア』(同、1926)、『アネミック・シネマ』(マルセル・デュシャン、1925)、『バレエ・メカニック』(フェルナン・レジェ、1924)。映画の間にピカビアの朗読が入る。そして最後にピアノ生演奏付でピカビア脚本の『幕間』(1924)。音楽エリック・サティ、監督ルネ・クレールのこの映画は、ピカビア展会場でも常時上映され、多くの人が丸いソファに腰掛けて観ていた。シネマテークも、招待が多かったようだが満席。反応もいい。

 かつてアートシアター新宿では、毎月恒例でこれらアヴァンギャルド映画を上映していた。『フリークス』『ピンク・フラミンゴ』そしてブニュエル『アンダルシアの犬』を含む前衛映画短編集がプログラムの3本柱だった。それがどれほどすごいことだったかを今さらのように思い返す。
 

2月3日(月)

 アクション・エコールで『シャレード』(スタンリー・ドーネン、1963)を観る。もう一つの上映室ではフリッツ・ラングの特集をやっているのだが、それを差し置いてこちらを観たのは、このオードリー・ヘップバーン主演の巻き込まれ型サスペンスがパリを舞台にしているからだ。セーヌ川のディナー・クルーズ、人形劇と切手市、そして夜のパレ・ロワイヤル。まだ自動改札になる前のあの地下鉄駅はどこだったのだろうか。観た後、ダニエル・ビュラン作の黒いストライプの円柱によってすっかり様変わりしたパレ・ロワイヤルまで散歩しようかと思っていたのだが、小雨が降り出したので早々に部屋に戻ることにした。

 探偵小説に関する研究論文集を編んでいることは先日記したが、目下日本から送ってもらった論文の目通しをしている。ここ数年、至文堂の「解釈と鑑賞」別冊の『坂口安吾事典』(「作品編」「事項編」の2冊)など編者的な仕事を幾つか経験し、また日本近代文学会の機関誌「日本近代文学」の編集委員を2年勤めたこともあって、つい編集者&査読者的な読み方をしてしまう。仕事とはいえ、本来的な論文批評を読む楽しみを失ってしまったようで、少し寂しい。

2月2日(日)

 フォーロムデシマージュ(Forumdesimages)で「La foi」つまり「信仰」をテーマにした映画の特集上映が行われている。今日は「Miracles」すなわち「奇跡」を描いた映画のパートの最終日で、14時半からの「ミラノの奇蹟」(ヴィトリオ・デ・シーカ、1950)、16時半からの「Strange Cargo」(フランク・ボーセージ、1940)の2本を観る。さらにサタジット・レイの「Devi」(1960)、タルコフスキーの「サクリファイス」(1986)と続くが、後2本はパス。「ミラノの奇蹟」は井上ひさしが確か新聞で大絶賛したのを蓮実重彦が咎めたせいで(?)映画まで駄作のように思われがちなのだが、傑作だなどと少しも期待せずに観ればそれなりに愛すべき作品とも言えなくもない。「Strange Cargo」は、クラーク・ゲーブルがその足首に目をつけられるやたちまち手で握りしめてしまうように、これはジョン・クロフォードの足の映画なのだが(わざわざ靴を脱いで川を渡るシークェンス)、無声映画ならばもっと見事に撮れたのではないかと思ってしまう。その一方で、船上での会話場面の単調さ。無声映画『第七天国』のボーゼージは、トーキー映画の演出リズムをついに会得できなかったのだろうか。

 映画の後は200メートルほど離れたポンピドゥー芸術文化センターへ。地上6階立ての建物の2階、3階の図書閲覧室はいつも混んでいて、日に寄っては2時間待ちとかもあるらしい。年間800万人という入場者のかなりの部分は、図書室利用者だと言う。400台のパソコンも魅力なのだろうが、何より45万冊を越える膨大な数の本が開架式で自由に利用できるのだ。パリ日本文化会館の図書室はおそらくここを暗に意識して作ったはずで、それゆえ入場者が絶えないのかも知れない。そして何よりも、国会図書館とは異なる機能の、誰もが簡単に利用できる巨大図書館をどかんと作ろうとはしなかった東京都の愚かさに腹が立ってくる。しかるべき場所にマルチ・メディアも含む充実した図書館を作れば、人はいくらでもやってくるのだ。都庁移転はその絶好のチャンスだったし、もしあの「バブルの塔」の半分を開架式図書室にしていたらどれほどすごかったかと、つい思ってしまう。

 しかし、今日の目的は最上階の6階で行われている「ロラン・バルト」展。ちょうど日本から届いた「物語の構造分析序説」(花輪光訳)のコピーを読んだところなので、今日は第1日曜日で美術館が入館無料の日だし、もしかしてバルト展もと思って帰りがけに立ち寄ったのだ。残念ながら、企画展は有料ということなので、4階、5階の国立近代美術館の展示を見ることにする。が、1時間半ほどの時間では4階部分だけ見るのが精一杯だった。

 それにしても、「物語の構造分析序説」のバルトは若々しい。わざわざ日本から送ってもらって読み直したのは、これがジェイムズ・ボンド(『ゴールドフィンガー』)を例に挙げながら書かれたテクストだからなのだが、「生まれつつある構造主義」といった表現が冒頭近くから現れ、思わず時の流れを感じさせる。「読み手の問題となると、文学理論は、はるかにつつしみ深くなる」との一句など、4半世紀過ぎた今日では、「読み手の問題となると、文学理論は、にわかにけたたましくなる」とでも言い換えたくなる。大部の展覧会図録やバルトの著作のペーパーバック版などがずらりと並んだブースを覗くと、フランス語など読めもしないくせに、どれもこれも買い込んで日本に持って帰りたくなってしまい、欲望を押さえるのに本当に困ってしまうのだった。

2月1日(土)

 今日も朝から雪が降りしきっている。午後からパリ日本文化会館の図書室へ。こんな天気だから空いているだろうと思ったのだが、いつもとさほど変わらずほとんどの席が埋まっている。熱心にレポートか何かを書いている若い人も多く、ここへ来ると受験勉強に高校生や予備校生が詰めかける夏の図書館の閲覧室を思い出す。

 本当は別の調べ事をしに来たのだが、講談社版『江戸川乱歩全集』の『幻影城』のページを括っているうち、すっかり読みふけってしまう。帰国直後までにスパイ小説論を書くことはこの日記でも触れたと思うが、もう一本、探偵小説の研究論集の序論にあたる文章を執筆することになっている。11月のシンポジウム発表原稿の改訂と併せて、2月は原稿書きに追われることになろう。だが、この3つが現時点で言わば締切の存在する最後の仕事で、これらが片づけば後は、自分の仕事にゆったりと専念できるはずなのだ。

 中高校生の頃はいわゆる純文学には全然興味がなく、推理小説ばかりを読んでいた。と言っても、會津さんのように熱心に猟書に励んでいた訳ではなく、創元推理文庫や早川ポケットミステリで有名な作品だけ拾い読みしていた程度だが。「感動」を売り物にする世界名作文学全集の類が大嫌いで、結果としてずいぶんと偏った読書遍歴を積むことになった。創元推理文庫の巻末には中島河太郎の解説が載っていることが多くて、推理小説作家になりたいとは思わなかったが、推理小説評論家には憧れる気持ちがあり、百科事典中の記述を書き写したり、自分なりのベスト10を選んでみたりしていた。想像していたのとはかなり違うけれども、こうして推理小説やスパイ小説について書けるようになったことに、不思議な思いを抱いている。

 19時半からパリ日本文化会館80/90年代日本映画特集で、大島渚監督の『Merry Christmas Mr.Lawrence』(1983)を観る。日本での公開題『戦場のメリークリスマス』は、フランスでは『Furyo』(俘虜)。フランス語字幕付なので、英語の台詞には当然日本語字幕が付かない。しばしば授業内容に関係のある本を一冊読むか映画を一本観て批評せよ、というレポート課題を出すのだが、毎回のように『マックス・モナムール』や『御法度』を取り上げたものが出てくる。テレビのおかげで大島渚監督の名前だけはしっかり浸透しており、ビデオ店でパッケージの解説を見て借りてくるらしい。そして、相当困惑した旨が書き添えてあったりする。『戦場のメリークリスマス』はあまりない。捕虜収容所での人間性がどうのといった理解の枠組が与えられがちなので、授業内容とはつながらないと判断するのだろうか。近年『猿の惑星』がとても多いのだが、どうしてそこから一ひねりしてみないのだろうか。

 14年前にロンドンで当時は日本ではまだ観られなかった、ぼかしも何もない『愛のコリーダ』を観た時にも感じたことだが、大島渚の映画は異国で観ると、それを支えている力がよくわかる。もちろん錯覚と思いこみに過ぎないことは自覚しているが、日本ではどれほど別の力が観る場に働いているかが思い起こされ、ずいぶんと自由な解放感が味わえるのだ。

 なお『妊娠するロボット』読者プレゼントは、日記中での告知が遅れたため、締切を2月7日(金)まで延期します。住所・氏名・メールアドレス・(もしよろしければ)職業・所属をお書きのうえ、『任ロボ』プレゼント希望と明記し、怪美堂までメールでご応募下さい。応募者多数の場合は抽選です。

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